スージーちゃんとマービー

藤本ジ朗さんのお言葉

以前、最終回終了後、「スジマビ」の演出・絵コンテをやっておられた藤本ジ朗さんからメールがとどいたんですけど、なかなか興味深い話が書いてあったんですよ。やはりこれは、ファンのみなさんにも読んでいただきたいと思い、本人に許可をとって転載することにしました。

 はじめまして、藤本ジ朗と申します。
「スージーちゃんとマービー」の演出・絵コンテをやっていたものです。
 いつも、楽しい感想、楽しみにさせて頂いております。

 昨日、とうとう最終話が放送されましたね。ぼくもなかなか本放送は観る機会かな いのですが、今回は、たまたま某魔術士もののコンテ執筆中で家に居たので、見る事 ができたのではあります…が、うーん。いろいろ語弊があるのではっきりはかけない のですが、もう少し丁寧に作って欲しかったなぁ、というのは正直ありますね。

 でも、僕として、「ああよかったなあ」と思えたのは「みみかき」のシーンです。
 ぼそけち様はスージーちゃんとピーブニー、そしてマービーの関係についてどう いったもんだとお考え?になっていたでしょうか?
 ボクは最初にこのお話を頂いて、犬のピーブニーがしゃべるという事を知り、親が でてこないという事の意味を考え、また「天てれ」の視聴者層を考えた結果、

 これは要するに小さい男の子と、そのママと「ちょっと変わり者のメガネくんが大 きくなった」パパの話だ。

 というニュアンスで演出をしてゆこうと密かに決めていました。

 ですから「むしのうんどうかいはたのしいね」の冒頭のサングラスのくだりはスー ジーちゃんがああいう反応をしていますし、「すてきなホワイトクリスマス」のラス トでピーブニーが屋根に昇っていないのも、これが理由なんです。
 (おとうさんでもある彼が、お客を放り出して屋根に登っちゃうのは「ちょっと違 う」とおもったのですね)

 今回の最終話に、自分は全くかかわっていないのですが、あの「耳掻き」のシーン のニュアンスは、僕が意図していたスージーちゃんとピーブニーの関係について、 「そんなに的外れではなかったよ」というシリーズからの解答を頂いたようにも思え て、本当の意味で作品に「参加」したのだ、という手応えがあったという意味でも、 わすれられないシリーズにになりました。

 とはいえ、もっともっと、やってみたいことはあったし、原作でも「パムとボルト 様篇」は手つかずで残っているしで、未練は結構たくさん残っています。出来れば新 シリーズをもう少し良い条件でできればいいなぁ。とおもっているのですが、これ ばっかりは時の運。どうなるかわかりません。
 しかしながら、もし再び「スージーちゃんとマービー」が作られる事があれば、応 援よろしくお願いいたします。

 2000.2.4   藤本ジ朗でした。

その後、前回の続きが届いたので、それも転載しておきますね。これは、4月9日にいただいたものです。

「スージーちゃんとマービー」を考える @ファンタジーと諸刃の剣

 「スージーちゃんとマービー」には、よくあったお料理ものなどの生活をえがくエ ピソードに並んで、いわばファンタジー篇とでもいうべき、彼らが不思議な人物や世 界に遭遇するという趣旨のエピソードが、かなりあります。原作のさべあさんマンガ の素晴らしい資質というべきこの2大ポイントはアニメーションでも継承されシリー ズに拡がりと楽しさをもたらしました。
 しかし、この二つの要素は作品世界を組み立てる上で、奇妙なひっかかりを作り出 してしまう事もあるのです。
 その顕著なものが、前回も述べたしゃべる犬ピーブニーの存在です。なぜ作中のワ ンちゃんの中で彼のみが人間の言葉を喋る事ができるのか、作品の中でこの事に触れ た描写はありません。 この疑問は「スージーちゃんとマービー」を見ていた結構多 くの人達の中にあったらしく、アニメを自分の子供と一緒に見てたおかあさんたちに 何度か尋ねられたり、ニフティの会議室などでもいくつかの同趣旨の発言を読んだ憶 えがあります。 そして当然この疑問は創り手の僕たちの側にもあったものでした。 たとえばピーブニーが「未来からきたイヌ型ロボット(笑)」でない以上、彼は家族 の一員の擬犬化(!)といったものなのではないか。そう考える他は無さそうだ。  という事で、例の、【これは要するに小さい男の子と、そのママと「ちょっと変わり 者のメガネくんが大きくなった」パパの話だ。】なんていうぼくたちの合意事項が生 まれてくるのでした。 ただし、これは僕と一緒に仕事をしている一部スタッフのみ の事で、シリーズ全体を通してそのような合意があったかというと、──最終話のよ うなはっきりした回はあるにせよ──いささか自信がありません。ただ今はっきり言 える事は、こうした作品の中のリアリティをしっかり押さえておく事が「スージー ちゃんとマービー」を、より多くの方達に見てもらえる為の重要なポイントであった 筈だ。ということです。

 ファンタジー篇についても同じ様な見方をすれば、「人間は、あんなに簡単に夢想 の世界に飛べるものなのだろう?」という疑問が僕などにはあります。 たしかに四 分弱の内容の中では難しい事は承知ですが、例えばマービーが虫の世界を夢見るのな らば、まず「女の子」であるスージーちゃんと「男の子」のピーブニー・マービーの サングラスをめぐってのちょっとした対立があって、それが「夫婦喧嘩(前回書いた アレです)」になった所で、おいてけぼりになったマービーが、その疎外感をジャン プ力として視たものが男の子の友達である「テントウムシくん」だった。くらいの構 造は作っておきたいのです。 もちろん人それぞれの資質はあるでしょうが「赤毛の アン」があんなに不幸な生い立ちでなかったら、彼女はそれ程夢見がちな性格にはな らなかったのではないかと僕は思います。 人間がこの世にないものを視るという事 は、たいへん興味深く、フィクションとしても魅力のある題材ではありますが、安易 にそこへ行ってしまうと逆にファンタジーを痩せ細らせる事になりかねませんし、心 の柔らかい小さいひとたちにとってはある意味危険でさえあるような気がします。 (これは故ミヒャエル・エンデの受け売りですが) 残念ながら、このような考え方 もまた、僕と一緒に仕事をしている一部スタッフのみの間で話し合われただけのこと で、シリーズ全体としてはほとんど配慮がなかったと言わざるを得ません。

 だた、シリーズ後半の「雪の王子さま」+「クリスマス篇」については、やや違う 考え方が適当ではないかと思われます。ですが少々長くなりましたので今回はこのへ んで。

藤本ジ朗

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